夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』は、猫の視点から人間社会を皮肉たっぷりに描いた作品です。
今回のブログでは、この名作の成り立ちや概要、舞台設定、主要登場人物などについて詳しく解説していきます。
猫の目線から見た人間模様に触れながら、明治時代の文化や価値観にも思いを馳せてみましょう。
1. 作品成立の経緯と作者夏目漱石の経歴
夏目漱石は明治から大正時代にかけて活躍した小説家・英文学者であり、日本を代表する作家として知られています。彼の作品の中でも特に有名な作品が『吾輩は猫である』です。
夏目漱石は1867年(慶応3年)に新宿区で生まれました。彼は幼少期に養子に出された後、離婚によって実家に戻ることになります。その後、東京大学文学部(当時は帝国大学文科大学)に入学し、卒業後は松山中学校や第五高等学校で講師を務めました。その後、文部省の派遣によりイギリスに留学しました。
留学から帰国後、夏目漱石は東京帝国大学の英文科の講師となりましたが、神経衰弱に苦しみます。そんな中、彼は1905年に『吾輩は猫である』を発表し、注目を浴びることになりました。
1907年、夏目漱石は教職を辞め、朝日新聞社に入社し専属作家として活動しました。彼はその後も『こころ』などの代表作を発表し、日本を代表する作家としての地位を確立しました。
夏目漱石は作家として活動する傍ら、様々な困難や苦悩を経験しました。しかし、その経験や環境が彼の作品に反映されており、『吾輩は猫である』は彼自身の考え方や状況がストレートに作品に反映されています。だからこそ、この作品は彼の作品の中でも特異な位置づけを持っているのです。
「吾輩は猫である」は、元ネタがある?
よく、E.T.A. ホフマンの『牡猫ムルの人生観』が元ネタと言われることがありますが、明確な証拠はありません。
ただし、世界文学に精通していた夏目漱石が、ホフマンの作品を知っていた可能性は否定できません。
E.T.A. ホフマンの「牡猫ムルの人生観」は、猫ムルが語り手となることで物語が紡がれますが、それは「吾輩は猫である」もまた同じ。
さらに、どちらの作品も人間社会の風刺が鮮明に描かれており、ユーモアを交えて社会的な皮肉や批評を行っています。
この風刺的な視点からも、「牡猫ムルの人生観」から影響を受けて執筆されたと言えます。
夏目漱石は、当時連載中だった「吾輩は猫である」に盗作の疑いを友人から茶化されて、さっさと主人公の猫を死なせて連載を止めてしまったという話があるあたり、怪しさ満点です。
もし、夏目漱石が生きていたなら、直球で聞いてみたいですね。
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2. あらすじ(第1章~第11章)
『吾輩は猫である』は、しばしば全11章とされますが、正確には章立てがない形で連載され、後に編集されて章に分けられました。
この小説の各部分は、主に猫の視点から見た周囲の人間社会の観察やエピソードに焦点を当てています。
物語は、珍野家で飼われている名前のない雄猫「吾輩」を語り手として進行します。
吾輩は生後間もなく捨てられ、さまよった末に珍野家に辿り着きます。
家主の珍野苦沙弥は、胃が弱くノイローゼ気味の中学英語教師で、独特の苦労を抱える人物です。
吾輩は隣家の雌猫、三毛子に恋をするが、彼女は病気で亡くなります。
この出来事は吾輩にとって大きな経験となり、以後、人間や社会を独自の視点で観察し、その不可解さを哲学的に考察します。
例えば、人間が四肢を持ちながら二本の足で歩く贅沢、所有権を主張する習性、髪を整える行動など、猫の目から見ると奇妙に映ります。
物語の結末では、吾輩は苦沙弥の晩年と死を反映し、偶然にも人間が残したビールを舐め酔ってしまい、水瓶に落ちてしまいます。
脱出を試みるも果たせず、最終的には運命を受け入れて静かに溺死を選びます。
吾輩の視点から描かれたこの物語は、人間世界の奇妙さと虚しさを浮き彫りにしています。
第一章
名前のない猫が散歩中に偶然入り込んだ家で若旦那に拾われる。猫はこの家の住人や来客の様子を観察しながら、人間の言動や社会的習慣の不合理さを風刺的に語り始めます。
第二章
若旦那の友人である迷亭先生と冷静先生が登場し、彼らの会話から人間の愚かさや自己中心的な行動が描かれます。猫はこれらの会話を通じて人間の性格や社会的地位についての洞察を深めます。
第三章
若旦那が近所の美しい女性、美禰子に恋心を抱く様子が描かれる。猫は若旦那の恋愛模様を観察し、その間の人間関係の複雑さを描き出します。
第四章
家の中での日常的な出来事や、若旦那とその妻との関係にスポットを当てる。この中で、猫は夫婦間の微妙な力関係や感情を鋭く捉えます。
第五章
若旦那の家で開かれる文学談義の場面が展開され、様々な文学作品についての意見が交わされます。猫はこの議論を通じて、人間の知的な側面とその限界を風刺します。
第六章
若旦那が大学での職務や学問に向き合う様子が描かれる。猫は学問の世界の虚栄や矛盾を見抜き、その不条理を描写します。
第七章
猫が他のペットや動物たちと交流するエピソードが描かれ、猫自身の存在や生き方についての自問自答が深まります。
第八章
若旦那と美禰子の恋愛関係がさらに進展し、その中で猫は人間の感情の不安定さや自己中心的な行動を批評します。
第九章
猫がさらに多くの人間たちとの出会いを経験し、彼らの生活や哲学について考察します。猫は人間社会の様々な層や人間性の多様性を描き出します。
第十章
物語がクライマックスに向けて進行し、主要人物たちの間の様々な問題が解決に向かう様子が描かれます。
第十一章
猫の語りが結末に達し、彼が人間社会に対して持つ最終的な見解と感情が描かれます。猫はその観察を通じて得た知識や経験を振り返り、人間とは異なる独自の哲学を確立します。
3. 物語の舞台と時代背景
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』は明治時代の日本を舞台にしています。
物語は1904年から1905年にかけて展開され、その時期は日露戦争の進行と重なっています。
明治時代は、日本が近代化を進める時期であり、西洋の文化や技術が取り入れられました。
3.1 舞台設定
物語は苦沙弥の家で始まります。
吾輩が最初に住み着く場所である苦沙弥の家は、薄暗く湿気のある場所であり、主に室内が物語の舞台となります。
苦沙弥は英語教師として働いており、書斎で勉強や執筆に励んでいます。
物語には苦沙弥の家の裏にある茶園で、車屋の黒という黒猫と出会う場面も登場します。
また、金田家との対立や銭湯などの場面も物語に現れます。
3.2 夏目漱石と明治時代
夏目漱石は明治時代の文壇で重要な存在でした。
彼の小説『吾輩は猫である』は、当時の社会や風俗を反映しています。
物語の舞台と時代背景の描写によって、読者は当時の日本の様子や人々の生活を垣間見ることができます。
明治時代は、日本が近代化していく過程であり、西洋文化や技術の導入が進みました。
英語教師として働く苦沙弥のように、物語には西洋文化や英語への憧れが描かれています。
また、俳句や新体詩、弓、謡、ヴァイオリンなど、さまざまな文化や芸術に触れる場面も物語に登場します。
日露戦争も明治時代の重要な出来事であり、物語の時代背景としても大きな影響を与えています。
物語の展開の中で、日露戦争に関連する要素や考察が多く含まれています。
夏目漱石の『吾輩は猫である』は、明治時代の物語の舞台と時代背景を通じて、読者に当時の日本の様子や人々の生活を伝える重要な作品となっています。
4. 主要登場人物の紹介
「吾輩は猫である」には、個性的なキャラクターたちが登場します。ここでは、物語の重要な役割を果たす主要な登場人物を紹介します。
吾輩
「吾輩は猫である」の主人公であり、物語の語り手です。一人称で自分を吾輩と呼び、人間のように会話します。物事を客観的に観察し、独自の視点で物語を進行させます。博識で知識が豊富な一面もあります。そして、三毛子に恋をしているという特徴もあります。
珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)
中学校の英語教師で、吾輩の飼い主です。夏目漱石自身がモデルとされており、妻と3人の子供を持ち、趣味が多い性格です。胃腸が弱く、ノイローゼ気味です。
迷亭
苦沙弥の友人で、よく苦沙弥の家を訪れます。嘘話をするなど、悪ふざけが好きで特異な趣味も持っています。美学者の大塚保治がモデルと言われていますが、漱石自身が否定しています。
金田鼻子
近所に住む実業家である金田の妻です。巨大な鼻が特徴で、吾輩は彼女を「鼻子」と呼んでいます。明治時代の落語家である三遊亭円遊を参考にして創作されたキャラクターとも言われています。
金田富子
金田の娘で、わがままな性格を持っています。金田夫人とは異なり鼻が大きくありません。音楽が好きで、水島寒月に一目惚れします。
水島寒月
苦沙弥のかつての門下生で、理学士の資格を持っています。バイオリンが趣味で、知識も豊富です。金田富子との結婚話が浮上し、お互いに一目惚れする関係になります。寺田寅彦がモデルとされています。
越智東風
水島寒月の友人で、金田富子に憧れを抱いています。寒月とは恋のライバル関係になります。金田富子に新体詩を送りましたが、思いが伝わることはありませんでした。
三毛子
吾輩の師匠である二弦琴の飼い猫です。吾輩は彼女を「先生」と呼び、器用で美しい容姿を持っています。吾輩は彼女に恋心を抱いていますが、彼女はそれに気付くことはありませんでした。
黒
車屋の飼い猫で、大柄で乱暴な性格を持っています。ジャイアンのような存在で、ねずみを捕ることが得意ですが、イタチは苦手です。吾輩も彼に恐れを抱いています。
以上が「吾輩は猫である」に登場する主要なキャラクターたちです。彼らの個性や関係性が物語をより鮮やかに彩っています。
5. テーマと作品の特徴
『吾輩は猫である』は、猫視点の人間観察記を独自のテーマとして採用しています。この作品は当時の日本において動物視点の小説が珍しく、注目を浴びました。
作品は猫の視点から描かれた人間の生活や談話を通じて読者を楽しませます。明確なメッセージは存在せず、読者は作品をただ楽しむことができます。
『吾輩は猫である』は、もともと読み切りの短編小説として執筆され、後に連載されることとなりました。執筆のきっかけは作者自身が神経衰弱の治療の一環として創作を始めたことです。そのため、作品の執筆開始時点では最終話の結末や一貫するテーマは確定していませんでした。
作品は読まれながら徐々に形成されていきます。読者の反響によって作品の進行や内容が変化していく様子が作中に描かれています。
また、作品には作者夏目漱石が周囲の人物や出来事とのつながりやパロディが取り入れられています。例えば、高浜虚子や作者自身の名前が作中に登場し、読者はこれらの要素を楽しむことができます。
『吾輩は猫である』は漱石の豊かな言葉の特徴が表れています。言語の湧出や文体の歯切れの良さ、風刺的な描写などが特徴であり、江戸落語の笑いの文体や英国の男性社交界の皮肉な雰囲気、漱石の英文学の知識が組み合わさって、痛烈で愉快な文明批評が展開されます。
以上が『吾輩は猫である』のテーマと作品の特徴の概要です。猫の視点から描かれる人間の生活や談話を楽しむ作品であり、作者のメッセージや主題は存在しませんが、豊かな言語表現や風刺的な描写が魅力となっています。
まとめ
『吾輩は猫である』は夏目漱石の代表作の一つで、独特の猫視点から繰り広げられる人間観察が作品の魅力となっています。
明治時代の舞台設定と登場人物の個性的な描写によって、当時の日本の様子を垣間見ることができます。
また、作者自身のパロディや風刺的な表現、豊かな言語表現も作品の大きな特徴です。
この作品は単なる物語としてだけでなく、作者の思想や当時の社会背景を感じ取ることのできる重要な作品といえるでしょう。
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