夏目漱石は日本文学の巨匠として広く知られていますが、特に彼の生涯の終わりに書かれた後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」は、漱石の文学的な深みと成熟を象徴する作品です。
これらの作品は、現代日本社会の倫理、孤独、そして人間関係の複雑さを掘り下げ、多くの文学愛好家や批評家にとって貴重な研究対象となっています。
この記事では、後期三部作の紹介はもちろん、簡潔なあらすじと文学的手法なども考察していきます。
それではいってみましょう。
なぜ三部作と呼ばれるのか
『三四郎』、『それから』、『門』は、話の繋がりはありませんが、恋愛に主観を置き、変わりゆく東京を描いているところは非常に似ているため、前期三部作と呼ばれます。
『門』に関しては、登場人物こそ違えど、そのストーリーから『それから』の続編と捉えることもできます。
前期を読むなら順番どおり、『三四郎』→『それから』→『門』がおすすめです。
後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」は、話のつながり、シチュエーションなどは全く違います。
ですが、人間のエゴイズムと苦悩する人々の心を描いている点と、漱石自身の年齢を重ねて熟成した深みのある表現が際立つ点から後期三部作としてくくられます。
後期三部作は、話自体の繋がりがないため、読む順番は期にする必要はないかと思いますので、気になった一冊から手にとってみてはいかがでしょうか。
各作品の概要
それでは、夏目漱石後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』のあらすじ、背景などを深堀りしていきます。
あらすじを読んで気になった本があったら、ぜひ読んでください。
「彼岸過迄」
夏目漱石の小説「彼岸過迄」は、1908年に発表された作品で、日本の近代化が進む明治時代の人々の心理と社会の変化を描いています。
この小説は漱石の代表作の一つであり、日本文学における心理小説の先駆けとされています。
あらすじ
主人公: 田川敬太郎
主要人物:
- 田川敬太郎: 大学卒業後も就職できずにいる青年
- 森本: 敬太郎と同じ下宿に住む男。様々な職を転々としている
- 須永: 敬太郎の大学時代の友人
- 田口: 須永の叔父。実業家
- 千代子: 田口の娘。天真爛漫な性格
- 野々宮: 敬太郎の学生時代の友人
大学を卒業したものの、就職できずに日々を送る青年・田川敬太郎。彼は、同じ下宿に住む森本と自身の将来について語り合い、焦燥感を募らせていく。そんな中、敬太郎は大学時代の友人・須永の叔父である田口に就職を頼むことを決意する。須永の家を訪れた敬太郎は、そこで須永の従妹である千代子と出会う。千代子の天真爛漫な性格に惹かれながらも、敬太郎は自身の内向的な性格ゆえに恋愛に踏み出せない。
一方、須永は千代子に恋心を抱いていたが、自身の出自や性格にコンプレックスを抱えており、千代子にアプローチすることができない。そんな中、敬太郎と千代子の関係が深まっていくのを見て、須永は嫉妬と焦燥に駆られる。
敬太郎、須永、千代子の3人の関係は複雑に絡み合い、それぞれの葛藤が描かれていく。やがて、千代子は敬太郎に想いを寄せることを決意するが、敬太郎は自身の弱さや優柔不断さから千代子の気持ちを拒絶してしまう。
一方、須永は千代子への想いを断ち切ることができず、苦悩する。そんな須永の姿を見た千代子は、彼の真摯な性格に惹かれ始める。
それぞれの想いが交錯する中で、物語は思わぬ結末を迎える。
分析
「彼岸過迄」は、そのタイトルが示す通り、「彼岸」に達するまでの「此岸」の生活、すなわち現世での苦悩と葛藤を描いています。
庄助とお由の夫婦関係は、新旧の価値観の衝突や個人の内面と外面の葛藤を象徴しており、漱石はこれを通じて明治時代の日本社会が直面していた変化とその影響を探求しています。
特に、自我と他者との関係、社会的期待と個人の欲望との間の緊張が浮き彫りにされます。
また、この小説は漱石自身の生活と密接に関連しており、個人的な経験が反映されているとも言われています。
庄助の孤独感や哲学的な思索は、漱石自身の心情を反映していると考えられ、彼の他の作品と同様に深い心理描写が見られます。
全体として、「彼岸過迄」は、変化する時代の中での人間の内面の葛藤と成長を描いた作品であり、漱石の洞察力と文学的技巧が光る作品です。
「行人」
「行人」は、彼の後期の作品で、1912年に発表されました。
主人公が遭遇するさまざまな人物を通じて、人間性の多様性と複雑さが描かれます。
この作品は、人と人との繋がりの希薄さと、都市生活の匿名性がもたらす心理的な隔たりを浮き彫りにしています。
あらすじ
主人公: 寺田一郎
主要人物:
- 寺田一郎: 哲学を専攻する大学教授
- 寺田直: 一郎の妻
- 寺田二郎: 一郎の弟
- 岡田: 二郎の友人
- 三沢: 岡田の友人
- 野々宮: 一郎の学生時代の友人
哲学を専攻する大学教授・寺田一郎は、妻・直との関係に悩んでいた。一郎は、直を愛しているものの、彼女の言動や考え方に理解しがたい部分があり、心のどこかで距離を感じていた。
一方、一郎の弟・二郎は、兄の苦悩をよそに、友人たちとの交流を楽しんでいた。そんなある日、二郎は友人から紹介された女性に惹かれ、恋に落ちていく。
一郎は、二郎の恋愛話を聞きながら、自身の結婚生活について改めて考えるようになる。そして、直との溝が深まっていくのを感じながらも、関係を修復しようと努力する。
しかし、一郎の努力は空しく、直との関係は悪化する一方となる。ついに一郎は、直と別居することを決意する。
一郎と直の別居後、二郎は兄の元に身を寄せ、二人暮らしを始める。一郎は、大学を辞職し、翻訳の仕事に就く。
ある日、一郎は学生時代の友人・野々宮と再会する。野々宮は、一郎に人生のアドバイスをする。一郎は、野々宮の言葉に励まされ、新たな人生を歩み始める。
分析
「行人」は、漱石の作品の中でも特に深い心理描写が見られる作品です。
この小説は、主人公の内面の葛藤を通じて、普遍的な孤独感と人間関係のもろさを描いています。漱石は、五郎の心の動きを詳細に描き出すことで、読者にも自己反省のきっかけを提供します。
また、この作品は漱石の自然描写も特徴的で、季節の移り変わりや風景の描写が五郎の心情とリンクしている点も見逃せません。
自然と人間の感情が相互に作用しながら、物語が進行していく様子が巧みに表現されています。
漱石は「行人」を通じて、人間の内面の探求とともに、当時の日本社会の変化にも光を当てています。
これにより、作品には時代を超えた普遍性が備わっていると言えるでしょう。
このように、「行人」は漱石の深い人生観と精神的な探求が色濃く反映された作品であり、多くの読者にとって考える材料を提供しています。
「こころ」
小説「こころ」は、1914年に発表された彼の代表作の一つです。
この作品は、「先生と私」と「先生の遺書」の二部構成からなり、人間の孤独、罪悪感、社会との矛盾など深いテーマを掘り下げています。
あらすじ
上|先生と私
物語の第一部「先生と私」では、語り手である「私」が、東京で学ぶ大学生として登場します。
彼はある日、海辺で「先生」と呼ばれる人物と知り合い、やがて深い友情を築いていきます。
しかし、「先生」は何かに悩んでいるようで、その心の闇を「私」には明かしません。
中|両親と私
物語の中間部分である「両親と私」では、主人公の「私」が卒業を報告するために帰省し、父親が危篤状態になる出来事が描かれます。
帰省中、「私」は先生からの手紙や電報に触れることで、物語が進展していきます。
下|先生と遺書
第三部「先生の遺書」は、先生が自ら命を絶つ前に「私」に宛てた遺書の形で語られます。
この遺書で、先生は自分の過去、特に親友Kとの関係やKの死、そしてその死によって自分に課された精神的な負担について語ります。
先生はこの重い罪悪感と孤独感から逃れることができず、最終的に自殺を選びます。
第三部のほとんどが「遺書」というのがとても斬新な構成です。
分析
「こころ」は、夏目漱石の晩年の作品であり、彼自身の内省的な思索が色濃く反映されていると言われます。
この作品では、人間の内面に潜む孤独や罪悪感、そしてそれらが如何にして人生に影響を及ぼすかが深く探究されています。
先生の遺書を通じて、漱石は人間関係の複雑さや、過去の出来事が個人の心理に与える影響を巧妙に描いています。
また、社会と個人の間の緊張や、個人の孤独感が明治時代から大正時代にかけての日本社会の変化と絡み合いながら描かれています。
この作品は、人間の内面に対する深い洞察とともに、個人が社会とどのように向き合うかという問題を提示しています。
そのため、多くの読者にとって感情的にも哲学的にも重い作品であり、日本文学における心理描写の傑作とされています。
「こころ」の詳しい解説は、別記事にて解説しています。
テーマと文学的手法
漱石の後期三部作は、人間の孤独、疎外感、そして自己探求というテーマを共通して扱っています。
彼はこれらのテーマを、精緻な心理描写とリアリズムを通じて掘り下げ、読者に深い共感を呼び起こします。
また、漱石の文体もこの時期にはより洗練され、象徴的な表現や寓意が多用されるようになりました。
影響と評価
夏目漱石の後期三部作は、現代の文学作品に多大な影響を与えています。
特に「こころ」は、多くの文学者によって高く評価され、研究され続けています。
これは、物語の進行が登場人物の関係性だけでなく、心情の変化が時代背景が密接に関わっているため、いろいろな角度から考察できるためです。
これらの作品は、漱石の深い人生観と哲学的な洞察を示すものであり、文学的な遺産としての価値は計り知れません。
結び
夏目漱石の後期三部作は、その文学的な成熟と深さにおいて、彼の作品の中でも特に重要な位置を占めています。
これらの作品を通じて、漱石は人間存在の核心に迫る問いを投げかけ、読者に深い影響を与え続けています。
今後もこれらの作品は、その普遍的なテーマと独特のスタイルで、多くの人々に読み継がれることでしょう。
参考サイト:新宿区立漱石山房記念館
https://soseki-museum.jp/soseki-natsume/sosekis-life/
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