夏目漱石は日本文学の巨匠として広く知られていますが、特に彼の生涯の終わりに書かれた後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」は、漱石の文学的な深みと成熟を象徴する作品といえるでしょう。
かなり重いストーリーですが、夏目漱石を知る上でも外せない作品群です。
この記事では、後期三部作の紹介はもちろん、簡潔なあらすじと文学的手法なども考察していきます。
この記事を読んで、漱石の作品をもっと知りたい!と思っていただければうれしいです。
それではいってみましょう。

なぜ三部作と呼ばれるのか

まず、夏目漱石の三部作について解説します。
前期三部作について
『三四郎』、『それから』、『門』は、話の繋がりはありませんが、恋愛に主観を置き、変わりゆく東京を描いているところは非常に似ているため、前期三部作と呼ばれます。
『門』に関しては、登場人物こそ違えど、そのストーリーから『それから』の続編と捉えることもできます。
前期を読むなら順番どおり、『三四郎』→『それから』→『門』がおすすめです。
後期三部作について
後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」は、話のつながり、シチュエーションなどは全く違います。
ですが、人間のエゴイズムと苦悩する人々の心を描いている点と、漱石自身の年齢を重ねて熟成した深みのある表現が際立つ点から後期三部作としてくくられます。
ただし、似ている部分もあり、「行人」と「こころ」の最後は、長い手紙で本編を閉じています。
内容は違いますが、手紙への導入が「こころ」ではより自然になっており、行人を元に、さらに求める文学に昇華させたのが「こころ」だともいえなくもありません。
後期三部作は、話自体の繋がりがないため、読む順番は気にする必要はないと思いますので、気になった一冊から手にとってみてはいかがでしょうか。
各作品の概要
それでは、夏目漱石後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』のあらすじ、背景などを深堀りしていきます。
あらすじを読んで気になった本があったら、ぜひ読んでください。
「彼岸過迄」(ひがんすぎまで)

夏目漱石の小説「彼岸過迄」(ひがんすぎまで)は、1912年1月1日から同年4月29日まで朝日新聞に掲載された作品で、同年に春陽堂から刊行されました。
日本の近代化が進む明治時代の人々の心理と社会の変化を描いています。
この小説は漱石の代表作の一つであり、短編を集めて一つの長編を構成するという手法がとられています。
登場人物
- 田川敬太郎: 大学卒業後も就職できずにいる青年
- 森本: 敬太郎と同じ下宿に住む男。様々な職を転々としている
- 須永: 敬太郎の大学時代の友人
- 田口: 須永の叔父。実業家
- 千代子: 田口の娘。天真爛漫な性格
- 野々宮: 敬太郎の学生時代の友人
あらすじ
大学を卒業したものの、就職できずに日々を送る青年・田川敬太郎。
彼は、同じ下宿に住む森本と自身の将来について語り合い、焦燥感を募らせていく。
そんな中、敬太郎は大学時代の友人・須永の叔父である田口に就職を頼むことを決意する。
須永の家を訪れた敬太郎は、そこで須永の従妹である千代子と出会う。
千代子の天真爛漫な性格に惹かれながらも、敬太郎は自身の内向的な性格ゆえに恋愛に踏み出せない。
一方、須永は千代子に恋心を抱いていたが、自身の出自や性格にコンプレックスを抱えており、千代子にアプローチすることができない。
敬太郎と千代子の関係が深まっていくのを見て、須永は嫉妬と焦燥に駆られる。
敬太郎、須永、千代子の3人の関係は複雑に絡み合い、それぞれの葛藤が描かれていく。
やがて、千代子は敬太郎に想いを寄せることを決意するが、敬太郎は自身の弱さや優柔不断さから千代子の気持ちを拒絶してしまう。
一方、須永は千代子への想いを断ち切ることができず、苦悩する。
そんな須永の姿を見た千代子は、彼の真摯な性格に惹かれ始める。
それぞれの想いが交錯する中で、物語は思わぬ結末を迎える。
分析と感想
「彼岸過迄」は、そのタイトルが示す通り、「彼岸」に達するまでの「此岸」の生活、すなわち現世での苦悩と葛藤を描いています。
庄助とお由の夫婦関係は、新旧の価値観の衝突や個人の内面と外面の葛藤を象徴しており、漱石はこれを通じて明治時代の日本社会が直面していた変化とその影響を探求しています。
特に、自我と他者との関係、社会的期待と個人の欲望との間の緊張が浮き彫りにされます。
また、この小説は漱石自身の生活と密接に関連しており、個人的な経験が反映されているとも言われています。
1910年6月、門を執筆中だった夏目漱石は胃潰瘍で入院し、療養しているさなか、病状が悪化し危篤状態になります。(※修善寺の大患)
また1911年11月29日には、五女ひな子が、2歳で亡くなります。
この2つの死にかかわる事件が、のちの作品、つまり「彼岸過迄」に影響していると言われています。
漱石の作品全体を通して言えるのは、どの作品も、そのときどきの自身の心情が反映されていて、彼の人生を知ることでより深くストーリーを味わうことができます。
庄助の孤独感や哲学的な思索は、漱石自身の心情を反映してるなと感じます。
全体として、「彼岸過迄」は、変化する時代の中での人間の内面の葛藤と成長を描いた作品であり、漱石の経験が投影されて生まれた深い洞察力と文学的技巧が光る作品です。
「行人」

「行人」は、彼の後期の作品で、1912年に発表されました。
主人公が遭遇するさまざまな人物を通じて、人間性の多様性と複雑さが描かれます。
この作品は、人と人との繋がりの希薄さと、都市生活の匿名性がもたらす心理的な隔たりを浮き彫りにしています。
あらすじ
主人公: 長野一郎
主要人物:
- 長野一郎: 哲学を専攻する大学教授
- 長野直: 一郎の妻
- 長野二郎: 一郎の弟で独身(主人公)
- 岡田: 一郎の母方の縁戚
- 三沢: 二郎の友人
- 野々宮: 一郎の学生時代の友人
1. 友達
二郎は友人・三沢に会うため大阪を訪れるが、三沢は胃腸を悪くして入院中だった。二郎は見舞いに通ううちに病院で出会った女性に心惹かれる。彼女の話を三沢にすると、三沢は入院前にその女性と酒を飲んだと語る。退院の際、三沢はかつて同居していた精神を病んだ娘について話し、二人は別れた。
2. 兄
翌日、二郎の母、一郎(兄)、兄の妻・直が大阪に来る。観光中、一郎は直を信じきれず、二郎に直と一晩泊まるよう依頼する。二郎は渋々承諾し、嵐の中で直と一夜を過ごす。その後、一郎たちと合流し、詳しい話は東京でと約束して帰京する。
3. 帰ってから
東京に戻ると、一郎は二郎に嵐の夜の詳細を尋ねるが、二郎は特に語るべきことはないとして追及を避ける。一郎は激怒し、以降、家での居心地が悪くなった二郎は下宿を始める。家族も一郎の様子に異変を感じるようになる。
4. 塵労
二郎は両親と相談し、一郎を親友Hに託し、旅行に出させる。一郎の様子を尋ねるため、Hに手紙を送るよう頼む。旅行11日目に届いた手紙には、一郎の苦悩や精神の不安定さが詳細に記されていた。
分析
夏目漱石の『行人』は、近代的自我の問題や男女関係の葛藤を描いた作品です。
主人公・一郎は、自分の理想に厳格で、他者にも同じ水準を求めます。
そのため、妻・直の曖昧でつかみどころのない態度に苦悩し、家庭内の緊張感が高まります。
一郎の弟・二郎は調和を重んじる常識的な人物ですが、その態度が一郎の孤独や葛藤を一層深めます。
漱石は、一郎を通じて他者との折り合いをつけられない自我の姿を鋭く描きました。
また、直という女性の内面は、一郎を苦しめる非条理性や欺瞞性の象徴として描かれますが、彼女の心理の掘り下げは限定的で、漱石のリアリズムの限界も感じられます。
『行人』で描かれた人間関係の葛藤や孤立感は、『こころ』へと引き継がれます。
人を信じられないって、息苦しいなって感じた作品です。
「こころ」

小説「こころ」は、1914年に発表された彼の代表作の一つです。
この作品は、「先生と私」と「先生の遺書」の二部構成からなり、人間の孤独、罪悪感、社会との矛盾など深いテーマを掘り下げています。
あらすじ
上|先生と私
物語の第一部「先生と私」では、語り手である「私」が、東京で学ぶ大学生として登場します。
彼はある日、海辺で「先生」と呼ばれる人物と知り合い、やがて深い友情を築いていきます。
しかし、「先生」は何かに悩んでいるようで、その心の闇を「私」には明かしません。
中|両親と私
物語の中間部分である「両親と私」では、主人公の「私」が卒業を報告するために帰省し、父親が危篤状態になる出来事が描かれます。
帰省中、「私」は先生からの手紙や電報に触れることで、物語が進展していきます。
下|先生と遺書
第三部「先生の遺書」は、先生が自ら命を絶つ前に「私」に宛てた遺書の形で語られます。
この遺書で、先生は自分の過去、特に親友Kとの関係やKの死、そしてその死によって自分に課された精神的な負担について語ります。
先生はこの重い罪悪感と孤独感から逃れることができず、最終的に自ら命を絶ちます。
第三部のほとんどが「遺書」というのがとても斬新な構成です。
分析
「こころ」は、夏目漱石の晩年の作品であり、彼自身の内省的な思索が色濃く反映されていると言われます。
この作品では、人間の内面に潜む孤独や罪悪感、そしてそれらが如何にして人生に影響を及ぼすかが深く探究されています。
先生の遺書を通じて、漱石は人間関係の複雑さや、過去の出来事が個人の心理に与える影響を巧妙に描いています。
また、社会と個人の間の緊張や、個人の孤独感が明治時代から大正時代にかけての日本社会の変化と絡み合いながら描かれています。
友情と恋愛がテーマですが、やはり根底ある人間不信が、物語をより複雑にしていると感じます。
多くの読者にとって感情的にも哲学的にも重い作品ですね。
「こころ」の詳しい解説は、別記事にて解説しています。

テーマと文学的手法

漱石の後期三部作は、人間の孤独、疎外感、そして自己探求というテーマを共通して扱っています。
彼はこれらのテーマを、精緻な心理描写とリアリズムを通じて掘り下げ、読者に深い共感を呼び起こします。
また、漱石の文体もこの時期にはより洗練され、象徴的な表現や寓意が多用されるようになりました。
まとめ

夏目漱石の後期三部作は、その文学的な成熟と深さにおいて、彼の作品の中でも特に重要な位置を占めています。
漱石を知りたいなら、後期三部作は外せません。
ただ、後期三部作の話はかなり重いので、軽く読み始めたいのであれば、前期三部作、三四郎あたりから読み始めるのがよいのでは、と思います。
この記事を読んで、夏目漱石の作品が気になった方は、ぜひ読んでみてください。

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